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佐々木明里FB

選択肢が増えると、当たり前はなくなる

「当たり前」とか「常識」って言葉は、
世界を狭く捉えていることの露呈でしかないと思うんです。


「当たり前」「常識」というけど、
実はごくごく狭い世界でだけ通用するものに過ぎないんだよね。

いろんなことが、だよ。
(極端なこと言うと「100度の湯に触れたらやけどするのが当たり前」も
「人間にとっては」だからね・・・極端だけど。笑)

 

当たり前、、、と思いこんでいる状態は、
選択肢がひとつしか見えていない状態。

「こういうもんだ」
「こうしなきゃ」


疑ってもいないから、
それを「真実だ」とすら思い込んでしまう。

「当たり前」は、「それが正しい」と思い込んでるからさらにややこしい。


そこから外れた人を見ると、
「あいつはおかしい」「危険だ」
「非常識だ」「間違っている」「理解できない」

つまり「視界の外」は「存在しない・ありえない・無いもの」なんだ。


そしてこの状態、
選択肢がひとつ、というよりかは、そもそも「選択できる」とすら、思っていない状態。

よくわからないけどこういうもんだから仕方ないんだ。って。


でも、「それが普通だ」というものほど、
あやふやなものって本当はない。


人によっても少しずつ解釈が違ったりする。
結婚すると相手の価値観に驚く、とかはよくあるよね。
また、国や時代でまったく変わってしまう。


せいぜい、
「私の世界での正解」にすぎないんだよ。

「当たり前」なんて、そんなもんなの。



私ね、

選択肢が増えていけばいい、と思ってるんだ。


生き方や在り方、生活、働き方、人間関係のカタチ・・・
選択肢が増えれば、というか、
選べるということをたくさんの人が知れればいいなと思ってる。


それだけできっと、
今よりずっと世界は生きやすくなる。


学校へ行くとか
就職するとか
結婚して子育てをするとか

当たり前のように提示されるのはとても狭く限られたイメージだけど、
その中にも、ついでに外にも生き方があって、
本当は70億通りの生き方がある。


そもそも、
ひとつの「当たり前」におさまってみんなが心地よくなる、なんてことは、
ハナから無理なんだよね。

 

学校へ行かない生き方もある、とか

性別を超えた男女の在り方とか働き方とか生き方も、
選択肢を増やすということだと思ってるの。



私たちは、自分で「選べる」存在だということ。

頑張ってもいいし頑張らなくてもいい、もそうだし、
結婚してもいいし、しなくてもいい、
同性と結婚したっていいし、複数の家族で一緒に住んだって良い、
子どもは父親やおばあちゃんが育てたって良い、とか。



とくに「生き方」なんて、
当たり前、なんて、、、本当はありえないのにね。
(言葉が矛盾してる?笑)


選べるということ、
選択肢が増えるということ、


どれを選んでもOK、という状態になるということは、

ひとりひとりが、
自分の心地よい在り方を選択していくということ。

70億通りの在り方が存在するわけで、
比べる必要がないから正解もない。


いろんな在り方(自分も他者も)を認めるということ。

そうしたら「そんなの当たり前」なんて、なくなっちゃうかもしれない。



そりゃ、昔だったら違ったかもしれないよ。

100年前は、「当たり前」でくくることはできたかもしれない。
生まれた土地で死ぬまで暮らし、
生まれたときの家でだいたいの人生が決まっていた時代なら、

触れる情報は少なかったし、
その地域の、家の流儀に従ってさえいれば不自由も感じなかったかもしれない。



でも、これだけ日本に限らず世界から情報が流れ込んでくる今、
生まれた場所で一生を過ごすことのほうが少ないかもしれない今、

出会う人も、ものも、場所も、
100年前とは比較にならない数に触れるわけで。


今日常識と言われたものが、
1年後にはもう通じないかもしれない時代。

人生も、働き方も、価値観も多様化してきてる。


自分の知っている世界なんて、
めちゃめちゃ狭いんだよ!
むりやり狭い世界に押し込めてるけど、
どうしたってはみ出るんだってば!笑



自分の「当たり前」からだって、出てみようよ。

世界はこうだなんてあきらめる前に、
視界の外を探しにいこうよ!


そろそろ「当たり前」とか「常識」って言葉、
時代遅れにならないかな?




「そんなの当たり前」なんてのは、
そのうち死語になるんだぜ!

 

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