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佐々木明里FB

演奏者は宇宙、私は楽器

最近、「私」という感覚を保つのも面倒くさくなって、
「私」が何かしよう、というのもどうでもよくなってきたので(笑)


宇宙に対して「私を使ってください」って感じで生きてみたりしてます。
「宇宙よ、私を使ってなんでも表現したらいいさ」と自分の身体を貸しちゃうんです。

自分の手を動かすことすらも宇宙にお任せしてゆだねる感覚。

そのときの感覚はとても身軽で心地よくて
自分が透明になっていく感覚になります。



その「透明になる」感覚って、
「自分がなくなる」という感覚とは違うんだよね。


完璧な「宇宙の一部」になって、「宇宙そのもの」になる、
自分がなくなるんじゃなくて、
もっと大きな自分になる、って感じ。



宇宙が私の身体を動かしてくれるから、
私はただそこに「在る」だけ、

そこに漂っている感覚になる。



何かを「する」というより、
私を通して、いろいろなものが流れていくだけという感覚。

その流れの中に身をおいている感じ。

最高にラクで気持ちいいよ(笑)



「私」であることって、
別に「私が」って感じることではないのかもしれない。

だって、こういう感覚のとき、
他のどんなときよりも「私」って感じで、
私にしかできないことをやっている実感があるから。

楽器の音色みたいに、
すでに固有の「音」をもっているから、
宇宙が私を使おうとしたら、
誰とも違う音が鳴っちゃうんだよ。



そう、演奏者は宇宙で、私は楽器。

たとえば、私はドの音を持った楽器だとする。
「頑張ろう」としているとき、
微妙にゆがんでいたり、
詰まっていたりして、

音楽は奏でられるけど、
なにか違うような違和感がむずがゆい感覚があったりする。

でも、リラックスしてただゆだねるとき、
私は職人がため息をつくほどに美しく、
非の打ち所のない最高の楽器になるんだ。

演奏者の息が吹き込まれ、それが流れてくると

私の透き通った音が響いていく。



響いていく。
世界がふるえだすその振動も感じる。

完璧なハーモニーになる。


そのとき、私は私であることに感動するの。

 

・・・・

ほんとうに、ただ「在る」だけ、
そこにいるだけという感覚で。

・・・・



ただ在る
ただ在る


すると、宇宙が私を流れていく。

私はふるえる。



私の音が響く。

宇宙に鳴らされて初めて、
私は自分の音を知る。

その美しさを知るの。
そしてそのとき、私は宇宙になるんだ。


・・・・・・・

 

文の形としては例えの形になっていて、
まるで詩のような文になっているけれど、

言葉にした感覚そのものなんだよな。



んでさ、無私の自分でいよう!としてるわけでもないよ。
「小さな私」を手放しているだけなんだろうし。
頭で考える自分とか、
自分が感覚できる程度の自分とか。

むしろ、完璧に「自分である」という感じもあるし。

欲を手放すというわけでもないのですよ。
それも通過していくだけのものという感じ。
通過させながら、やりたいものはやるよ。

なにより、自分で何かを「しよう」としなくていいから、ラクチンなのさ。
んー・・・、めんどくさがりの極みかしら。笑
これが「無私」のひとつのかたちなら、無私ってのも悪くないなー。


※ちなみに、「自分を犠牲にして尽くして奉仕する」という「無私」は、
フルートが「私、コートの1着や2着かけられます!」とか言って物干し竿になろうとするようなものだと感じマス(笑)

 

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