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佐々木明里FB

学習したものを、生きているだけだとしたら

たとえば鳥。ヒナが生まれたらちゃんと餌をあげたりするよね。
じゃあ人間は?
誰からもちゃんと学んだことがなくても、子どもを育てたりできるんだろうか?



「学んだことがなければどうしたんだろう」

・・・そんなこと想像も難しいくらい、
大人になる頃には膨大な情報が与えられている、人間。

親から、テレビから、周りのおとなから、社会から。
暗黙のルールなんかも、学びながら、
たくさんのことを「学習している」と自覚しないまま、無意識に全て取り込んでいく。

いつの間にか、自分の価値観そのものにまでなっているんだ。吟味することもないままに。
ふと気づくと、自分の価値観だと信じていたものが、
まるごと他人の価値観でしかないことに気づいて愕然としたりする。

「私の価値観」ってなんだろう?
私は本当に「私」を知っているの?



ふと考えるの。
学習してきた結果、今のような価値観で、生きているのだとしたら。

学んだことがなければ、
どうやって生きていくんだろう。



たとえば。
学んだことがなければ、
私たちは、それぞれとどういう関係をつくっていくんだろう。


夫婦、親子、友達。ある意味もう、型ができてしまっているでしょ。
夫婦だから、親子だから、友達だから。
男だから。女だから。

気づかないうちに、役割の「枠」に自分をはめようとしてしまうでしょ。

でもきっとそれは、「こうあるべきだ」という誰かの価値観を学習したものでしかないよね。
関係性に名前をつけることで、「枠」に、はまろうとしているだけかもしれない。



もし、それがなかったら?
何も知らなかったら?

それすらなかったら、どうやって、男と女は、お互いに近づこうとするの?
「男と女は引き合う存在だ」それも、
誰かにそう言われたからそう思い込んでるだけかもしれないよ?

親は子供にどう接するの?愛するの?叱るということをするの?
「親は子どもを愛するもの」そう言われたから、愛さなきゃと思っているだけだったら?


そもそも、私たちが「人間である」ことすら、型を生きているのかもしれない。
人間であるから、こういうことをすべきだ。
これは良い、悪い。
人間はこういうものだ。

それすら「誰かがそう言ってたから」そうだと信じているだけだとしたら?



もし。もしもだよ。

愛すること、すらも「学習した」ものをなぞっているだけだとしたら?
愛とは、こういうもの。
愛するとは、こういうこと。
愛を表現するときは、こう。。。


あまりにも無意識に学びすぎて、
何が自分にとって自然なのかも、わからなくなっているのかもしれないよ?



じゃあ。じゃあ。


私たちが「ほんとうに自然に」存在したときに、どんな世界だろう?
どんな生き方をするのだろう?


ほんとうに、ほんとうに「自然に」存在したとき、

私たちの人と人との関係性ひとつひとつをとっても、

それぞれの形はすごく個性的になっていて、
いまと、まるで違う形なんだと思うんだよね。
もっともっとバリエーション豊かなかかわりがあるはずなんだ。
そんな気がするの。



それからね。
実は、感情も「学習している」部分が大きいと思うの。


こういうときは、こういう反応をする。
こういう出来事が起きたときは、泣く。
こういうことがあったら、喜ぶ。

ある出来事のときに怒る人を見て、
「あぁ、こういうときは怒るものなんだ」と知らずに学習する。
そして、自分も似たような状況に出くわしたとき、怒る。というか、怒ろうとする。

感情はただの「反応のパターン」だったりする。
自動的になってしまっていたりする。
どこかの時点で、学習したもの。


だとしたら。

感情を「学んで」なかったら、こういう出来事に出会ったとき、自分はどういう反応をしたんだ?

「学習した」ことがなければ、
私、は、どんな反応をするんだろう?
まっさらな「私」は。

私たちは、自分が「自然に」存在したとき、ほんとうはどんな反応をするかを、
知らないのかもしれないよ。


魂は人それぞれで、もともと反応の仕方、感じ方は違うはず。
けど、今の私たちの反応も生き方も、「学習しただけのもの」かもしれないと思うときがあるんだ。


私たちは、ほんとうの自分すら、まだひとっつも生きてないのかもしれないよ。

ほんとうのあなたは、どう反応する?

なにをする?

なにを、思う?

感じる?




スタートにすら、立ってないんじゃないかって。


ほんとうのあなた。
ほんとうのわたし。

でも、それに出会ってみたい。

 

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