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佐々木明里FB

平和という概念のなかった世界から

正直言うとね、
平和という言葉や概念そのものが、違和感であり、
理解しきれないものでもあるんだ。

へんなの、って感じがする。
私にとってはね。

多分、私のいた星では、平和という概念はなかった。
あまりにも、当たり前の状態すぎて、
考えてみる事すらなかったかもしれない。

でも多分、私のいた星は、
地球から見たら「なんて平和な世界なんだ」としか、
表現できない世界だったのだろうと思う。

争いも、全くか、ほとんどなかった気がする。

「違い」がなかったわけではないよ。
違う部分、違う価値観はあったんだと思う。
でも、争いを起こすことはなかった。


じゃあ、お互いの違いはどうやって認めてたのか?

それはね、どんな違いも、ただ「ふーん。そうなんだ」って思ってただけだから。
違いを相手に認めてもらう必要性を感じないから。
自分が正しい事を相手に証明する必要性を感じないから。
「ああ、そう」だけでいいの。そんな感覚。

まぁ、そもそも。。。

何をしなくても
何かを成さなくても
何かを得なくても
すでに満たされていた世界の感覚だからこそかもしれないけれど。


承認も、価値も、利益も、
「ほしい」という感覚すらなかった。
だって、そんなものなくても、充分だったから。


争う「意味」が全くないの。
それって、ものすごく合理的で、利己的な理由だよ。
それは「私にとって」得ではないのが、はっきりしているから。


得ではないものを、わざわざする意味もない。それだけなの。
というか「争うことは、ものっっっすごい損である」という感覚が、
ものすごく強く残ってる。


だから、この世界を見てきて、
なんでそんな、損でしかない事をするんだろう??と
小さい頃からずっと、不思議でたまらなかった。



戦争をするという「発想」も、
理解しようとしても、難しい。



何かを「得るため」の方法、
何かを解決するための方法として「戦争」という形を選ぶことは、
私のいたところの感覚だと「まず、ありえない」ことだから。

多分、この地球で戦争が起こるのは、
分離感を前提にお互いを見ているせい。

「戦争」も、人間の「発明」のひとつなんだと思うんだ。
戦争って、「分離感」の究極の体験かもしれない。
お互いが分離した存在だと信じているからこそのもの。


「私とあなたは何のかかわりのない存在。奪い合う存在」
という視点から見るからこそ、
戦争で「得る」ものが「利益」に見えるのかもしれないね。


だってね。
「つながりあった存在」としてお互いを見ると、
戦争は、誰の得にもならないんだよ。

それによって傷つくもの、失うもの。
その大きさと秤にかけたら、圧倒的な損だよ、って感覚がある。

戦争は、膨大な人の命が傷つくものであり、大きな環境破壊でもあるね。
長期的に見たら、自分を傷つけているのと同じだよ。
それを続けた先には、自分ですら生きていけない世界が待ってる。
人間は、自分で自分を殺そうとしているよ。
直接的な意味でもね。

その土地であり、自然であり、動物であり、人であり、
様々な存在と関わりあって成立しているのが「私という個人」だから。


「奪って、得ている」ように見えるものは、ただの錯覚だよ。
ひとつも、手に入れていないの。本当はね。
自分たちの未来を削って、終わりを早めているようなもの。


ほんとうの利益って、
「奪い合う世界」じゃなくて、
「互いに、創り出す世界」にあるんだよ。


ほんとうは、
もっと大きな視点で見ないと、続いていかないんだよ。

「自分はつながった存在である」と知っている感覚でいることや
「自分が満たされた状態でいる」こと、

それを平和な心の状態と呼ぶのかもしれないけど、

そういう状態で在ることを選ぶのは、
それが「いいことだから」とかでもなんでもなくて、
そうあることが最終的に自分のためになるからっていう、
ものすごく理にかなったことなんだよ。



ほんとうは。

ほんとうはね。。。

 

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