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佐々木明里FB

もし今、お金が消えたら

お金という仕組みが、

今。「パッ」と消えてしまったらどうなるだろう。


お金のためにしていた活動の全てが、意味を成さなくなる。

毎朝、仕事に行こうと家を出ていた人は、
どこへ向かうだろう。


もう、お金を稼ぐために、仕事に行く必要はない。
じゃあ、どんな一日を過ごそうとするだろう。
お金のために生きる必要がなくなったら。。。



そう考えて、思ったの。



あ、きっと。。。


自分の大切な人。
家族や、恋人や、友達。
今自分の目の前にいる人たちと過ごそう。と思うんじゃないかって。


一緒に笑い合っていたい。
目の前の人を、幸せにしよう。
そう思うんじゃないかって。


その人は仕事に向かおうと車を走らせようとして思うの。

「あ、もうお金を稼がなくてもいいんだ。
生きるだけなら、もう仕事は必要ないんだ。
今まで、何のために仕事に行こうとしてたんだっけ?
自分が何かをすれば、お金がもらえる。
遠い誰かのためになにかして、お金を得ようとがんばっていたんだ。
生活するにはお金がいる、
何かあったら困るから、
でも・・・今はもう、お金がなくてもそれが得られるんだなぁ。。。
もしかしたら、最初から必要なかったんじゃないか・・・
自分は今まで、何をしてたんだろう???」って。


お金のために生きようと過ごす日常ってね、
見えないものを追いかけているのと同じなんだと思うんだ。

そうして、目の前の人を忘れても平気になっちゃうんだよ。


お金って、目に見えないモノ。
紙幣、硬貨という物質の形はしているけれど、
そのモノ自体に意味はなくて(だって、ヤギからしたらほかの紙切れと同じだよ?)
人間の意識が「意味」を与えているから、成り立っているもの。



お金のために生きるのって、
幻想を追うようなものじゃないかと思ったんだ。


将来の何かのため。
必要になるかもしれない何かのため。

それって、幻想でしかないんだ。


その幻想を見ることをやめたら、
本当の「自分にとって必要なもの」が見えてくるはず。


それはきっと、目に見えるものなんだよ。

目の前の人の、笑顔とか。
何か作りたいと思うのだって、

本当は、目の前の人に喜んでもらいたいからなんだよね。

みんなが目の前の人を幸せにしたい、
一緒に幸せを感じたいと願ったら、
きっと平和な世界になるだろうね。



きっとね、
お金という仕組みがなくなったら、

どんどんコミュニティは小さくなっていくと思うのです。

どこかにいる誰かのためじゃなく、
目の前の人のために何かしようと願えば、自然とそうなるんだと思う。


だから、自分たちで、自分たちの分。
自分たちの周りのことは、自分たちでやる。



それにモノも技術も知識も、「独り占め(所有)」する必要がなくなるから、
色々なことも、オープンになる。


そう。お金が消えたら、
それと一緒に、「所有」という概念も、消えるんじゃないかと思う。


たとえば、自分の家が「自分の家」であるのも、
そこ(建物・土地)にお金を払っているからじゃない?


お金のやり取りって、
「私のものを、あなたにあげる」って所有権の明け渡し。


スーパーの商品も同じだよ。
並んでいる状態ってのは「ここにあるモノは、スーパーのものだよ(欲しいなら、お金払ってね)」
っていう状態。

お金っていうものがなくなったとたんに、
スーパーのものも「誰のものでもなくなる」んだ。


ま、「これは私のものだ!」って言い張ることはできるだろうけどね。


「所有」だって、幻想でしかないんだよ。
もともと存在しないものだって気づくの。




ほんとうは。。。

地球上にある全ての「モノ」は、
だれのものでもないんだ。
もともとね。


そして、
お金が、消えたら。


所有の概念が消えたら。



ひとつ、転換が起きるの。

「足りないものは、ない」って。



だって、考えてみて。

特に日本には、
捨てるだけの「モノ」も「食べ物」もあるんだよ。

まちには、どれだけの空き部屋がある?
どれだけの服があふれてる?

みんなに行き渡るだけ、すでにあるんだよ。


足りないと思ってるのは、
お金を払わないと「所有」できないという、
幻想のせいかもしれないよ。



お金がなくなったら、
「使い放題だ」って言って、
みんな無駄遣いするようになる??


はじめは、そうかもね。

でも、だんだんそれがばからしくなってくるよ。
だって、いつでも使えるのに、わざわざ余計に使う必要なんて、ないんだもん。

必要な分だけ使うようになる。
その必要な分だって、どんどん少なくなるかもね。


だって、お金を得るためにしていたことをしなくてすむ分だけ、
お金を得るためにしていた仕事をするストレスを解消しようと消費していた活動がなくなる分だけ、

少なくなるはずだから。



この世界には、
すでに十分なだけ「モノ」があるんじゃないかな?


本当は、
今、すでに「足りないものなんてない」んじゃないかな?


お金がなくなって、
仕事する必要がなくなったら、
作る人もいなくなって、モノは足りなくなる?



そりゃ、はじめは「お金のために働かなくてもいいなら、仕事、やーめた!」って人もいるだろうさ。

でも、自分のために、自分の大切な人のために、
食べるものを手に入れよう。くらいは、始まるよね。


だったら、それを作る人のところに行ってみよう。
たとえば、農家の人とか。
で、「ちょうだい」って言えばいい。


ちょうだいって言われた人は、断るかな?
だって、自分じゃ食べきれないだけの物を、持っているのに?

あげたって困らないんだよ。
じゃ、別に「いいよ」ってなるかもね。


電気やガスはどうなるだろう?

電気やガスの会社に勤めている人が、
「やっぱり使えないのは不便だし、動かそう」って決めれば、
動くよね。


もうお金のために「自分の技術や知識」を独り占めする必要もなくなるよ。
そうしたらきっと、
その分野に知識のありそうな人に「発電機の動かし方」なんかを教えて、
たくさんの人ができるようになったほうが、
自分も付っきりで仕事しなくてもよくなるし、楽だろうね。


「自分たちのために」「みんなでやろう」って意識になるんじゃないかな。
仕事は独占するんじゃなくて、できるときにできる人がやるようにかわったほうが、
みんな楽だって事に、気づくんだよ。


結局「仕事」って、自分たちのためにしているものだって気づくんだ。
もちろん、必要なくなってしまう仕事も、たくさんあるだろうけどね。

お金に対する不安もなくなって、
将来の何かに備える必要もなくなって、
できる人ができることをやればいい。



そうなったら、
国だって、必要なくなるかもね。


目の前の誰かに頼れないから、
国に頼ろうとしてたんじゃない?



私、意外とね、
今お金という仕組みが消えても、
何とかなっちゃうんじゃないかと思うのです。



だって、お金なんてもともと「人の頭の中」だけにあるもので、
実在するものじゃないからね、
現実の世界に存在している「モノ」には、何の影響もないんだよ。


見えている景色は、
変わらないの。



「あっ、幻想だったんだ」ってぱっと気づいてしまえば、
おしまいになっちゃうんだよ。


ただ、目を覚ますだけで、それだけでね。

 

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