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佐々木明里FB

世界は、自分サイズなんだ

自分の人生に対する関わり方って、
そのまま世界への関わり方なんじゃないかなぁ。

「世界はどうせ、変わらない」も、
「仕方ないから、仕事しなきゃ」も、
同じものだと思うんだ。


で、それが今の世界の姿を形作っているんじゃないかなと思うんだ。

根っこにあるのって、
自分のチカラの放棄だと思うの。
私たちは、本当は、創り出していく存在なのに、自分を無力な存在にしてしまっている。



たとえば、ね。

自分の身体に責任を持つ代わりに、何かあったら病院に行けばいい、
お医者さんが教えてくれる、と任せてしまう。
自己治癒力って、本当はものすごい可能性があるのに。


自分の生き方に責任を持つ代わりに、学校に行って、就職すればいい、と考えるのをやめてしまう。
自分の魂の望みに、まだ耳を傾けてもいないのに。



この世界に責任を持つ代わりに、
どうせ誰かが勝手に決めてしまうんだ、と振り回されることを選んでしまう。

この世界は、私たち一人ひとりのために存在しているのに。

本当は自分の中に大きな力があるのに、
責任放棄をしてしまっているんだ。

 

自分は小さい存在だ、何もできないのだから仕方ないと納得することって、
もちろんそれが「自分にとって安全だ」と思うからそうするのだけど、
本当はそのせいでいろいろな不都合がうまれているんじゃないかな。



なんだか…世界の問題の色々もね、
私たちの心の在りようそのままなんじゃないかって。


ふと…私たちの「自分自身を生きられない」ストレスを、当り散らしているだけに見えたの。

自分を生きていないストレスって、
行き場を求めて暴走する。

モノで満たそうとしたり、
誰かに愛されることで満たそうとしたり。

与えてもらわないと生きていけないと信じているから、
得ようとして、コントロールしようとする。



世界の問題って、「コントロールしなきゃ」という恐れから生まれているように見えるんだ。

恐れが行動のベースになってしまうのは、
自分の軸を失ってしまっているからだよ。
自分に軸がないから、不安定になる。
不安定で、何かにすがりたいけど他に頼るものがなくて「恐れ」を軸にしてしまう。


そして、周りの環境に左右されて、さらに不安定になる。でも、どうしたらいいかわからない。

これ以上不安になりたくないから、なおさらコントロールされることを恐れるようになって、

また…コントロールしなきゃという強迫観念に近い恐れが生まれる。

コントロールしようと思うのは、
コントロールされることへの恐れ。



人から奪わなきゃ生きていけないと思うのは、
奪わないと自分には価値がないと思うことへの恐れ。


分かち合えばこの世界には十分なものがあるのに、所有しようとするから、貧困が生まれて。

自分の価値を高めようと、
豊かさのイメージを生きていないと不安になるからと、あふれるほどのものをつくって、環境すらも危うくして。



戦争とセットで語られることの多い「嘘」。

でも、嘘をつかなきゃ守れないと信じてしまうだけ、
怖がっているということだよ。

自分たちの創り出した幻想に過ぎないんだけどね。


人間が、自分の創りだしたもので、
自分の首を絞めているだけ。
自分自身に振り回されているだけ。



いろんな仕組みもそうだけど、
仕組みをつくったのは自分たちで、本当は適度に利用すればいいだけのものなのに、、
その仕組みに対して自分の力を預けて盲目になってしまうから、
仕組みのほうに乗っ取られてしまう。


なのに、自分じゃない何かのせいだと思ってる。
だから変えられないと思ってる。
仕方ない、こういうものだ。って。

「いつの間に世界はこうなってしまった?」って。



自分の世界を生きる代わりに、
誰かの世界で生きようとするから、
苦しくなるんじゃないのかな。



誰かの価値観を生きようとすると、
「あるべき」「するべき」に従うと、
行動は「義務」になり、形だけになっていく。

形だけになっていくと、振り回されているという不満が生まれる。

自分が消えていくと、
無力感になり、悲しみになり、怒りがうまれる。



何かに、誰かに…世界に支配されることを選び、
自分を、明け渡してしまうから、


ストレスになったり、なんか違うと感じたり、上手くいかなかったり、ゆがんでしまうんだよね。

世界がこうなっているのは仕方ないと思うのは、
まず、自分の人生に対して仕方ないと思っているからだね。
同じなんだ、きっと。



でも…

責任放棄って、実はちっとも楽じゃない。

自分に嘘をつくことだから。

自分のどうしたい、どう在りたいという自分の願いをごまかすこと。

他人の価値観を信じて、自分の価値観を見ない振りすること。


「自分じゃない何か」を信じて、
信じるべきは自分じゃないのだということだけ信じている、
つまり、どこにも軸がない状態なんだ。


すると、「見えない何かに振り回されるようにいつの間にか流されて、もうどうにもできない状態になってしまった」って嘆くことになる。

それは、すごく当たり前のことなんだ。
それを選んだら、そうなるしかないよ。


でも、それしか選択肢がないと、信じてしまっていたんだよね。


小さい頃、私は…疑問を感じながらも、
この世界に適応しようとして、
がんばらなくちゃいけない世界、
複雑な世界、自由にならない世界で生きようとしてきた。



そのとき私がこの世界から受け取っていたメッセージは、
「それが、この世界で生きていくことだ」
「それが、大人として、この世界に適応していくことだ」ということだった。


それって、

誰かの価値観で生きようとすることだった。


自分の中のどれだけ多くのことが、
他人の価値観でできていたか知ったとき、
「で、“私”はどこにいる?」と、びっくりした。
実は違和感を感じていたのに、無視してきたことにも気づいた。



やめてみて思ったよ。
そんな世界に生きることのほうがずっと難しくて、苦しいコトだったって。

自分に嘘をつくことって、
ものすごくストレスなんだ。



だってそうだよね。

私たちは自分自身で在ることを最大限に表現しようとしてこの世界に生まれてきたのに、
その魂の望みを無視することだから。
ものすごい摩擦と、葛藤が生まれるんだ。


自分の価値観で自分の人生を生きるとか、
自分の人生を自分で創り出す生き方って、

本当はすごく楽なんだよ。
簡単だし、シンプルだし。


同時に、責任をとることでもある。
だって、自分に正直に生きたら、
それを生きるしかないから。



でも同時に、
すごく楽にもなる。
もう自分に嘘つかなくていいんだ!っていうのは、大きな解放感だし。

もともとは、自分で自分を縛っていただけなんだけどね。
「こう生きちゃいけない」って、信じていただけ。
そうする必要も、まったくないものだったのに。



一人ひとりが自分を生きるようになっていけたら、
自然と世界は変わっていくね。

「楽しい世界、新しい世界を創りだそう」っていうことも、
自分の力を取り戻すことなんだな、と思ったんだ。
だって、自分で「そうしたい!」と選択することだもんね。

自分の生きたい世界を、生きたい。と、
選び取ることなんだろうね。


一人ひとりが、自分を生きていく世界なんだと思ったんだ。

きっとそれは、
一人ひとりの変化でもあるんだ、と。

自分の人生に責任を持つことができると、
きっと、世界に対する責任も負うことができるようになる。



それはつまり、
自分が自分の魂の在り方を精一杯表現するということ。
それが、世界に対して私たちの果たす役割。



でも別に、その役割ってぜんぜん重たいものでもなんでもなくて、
実はすごく楽しくて、楽チンで、ストレスだって一番少ない。

だって、自分でいればいいだけだもん。
自分に嘘つくのやめればいいだけだもん。

ストレスがなくなれば、自然と優しくなれる。
一人ひとりの中のストレスがなくなれば、世界も自然と優しい世界になるよ。



世界って、実は、
自分の思うほど大きくないのかもしれないよ。
自分と「同じ」大きさなのかもね。



世界は自分より大きいものだ、と思うことをやめると、
世界は自分サイズになっていく気がする。


それって、世界が小さくなったんじゃなくて、
自分のほうが世界と同じだけ大きくなるってことだ。


で、実は、それが本来の大きさなんだと思うんだ。
一人ひとりにとってだよ。



小さくなるの、やめればいいんだね。
というか、本来の大きさに戻るだけ。

難しくするのもやめちゃおう。
だって、本当はシンプルなんだ。

シンプルなものを、シンプルなままに生きたいね(●´ω`●)

 

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