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佐々木明里FB

正しい側に立とうとすること

責めている間は、
人は、「自分は正しいことをしている」と錯覚するんだ。

人を責めるのももちろん、
自分に対して責めるのも同じことだよ。


責めている時は、必死に正当化しようとしている時。

自分を責めるのも、
そうしていると「正しいことをしている気になる」からだったりするんだよ。


どこかで「いけないことをしている」と感じるとき、
そんな自分を責めていると、

「自分はまだ”大丈夫だ” ”まともな人間だ”」と安心するの。

「自分を罰することのできる人間だ」とね。
「なにが正しいかわかっている人間だ」とね。


そうすることで
「正しい」の側に立とうとしたりするの。
自分に対してもね。

「正しい側に立ちたい」という気持ちは、仕方ないのだと思う。
それだけ、人は間違うことが怖いのだもの。


間違っていたらどうしよう?
その恐怖って、「人生の意味」にもつながっていたり。

自分のしてきたこと、していることが間違いだとしたら?
自分の人生にはどんな意味があるのだろう?
それを「間違い」だと認めたら、今までの自分を否定しているような気になるとかね。

そうした無意識の恐怖って、とても根強いんじゃないだろうか。


間違っている者は罰せられる。という恐怖もあるよね。
多くの宗教的なものにも共通しているけど、
それだけそこが人間にとっては普遍的な恐怖だからだろうね。




ただ、そうすることの問題は、

そうすることが、
さらなる恐怖を生み出すだけだってこと。


怯え続けるんだよ。
見えるもの(周りの人)や見えないもの(何か悪いことが起こるんじゃないか)をね。


でも、そうまでしてごまかしたい何か・・・


「本当はこう思ってる」とか
「本当はこうしたい」とかは、


そんな「死の恐怖」には釣り合わないくらい、
たいしたことなかったりするんだよねぇ。。。




認めてしまえば、簡単なこと。
認めてしまうまでが難しく感じられるだけなんだよね。




気づくときって、いっつも
「あ、なんだ、そっか。」

って、さ。

 

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