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佐々木明里FB

新しい働き方のカタチ♪

お金のなくなった世界で、働き方はこう変わるんじゃないかな、というイメージがあるんです。

 

そのときは、そもそも働くことは、お金のため、生活のためではなくて。
働かなくても生きていけるから、働く必要はないの。

だから、働くというよりも「自分の想いを表現する」活動になっているんだ。

 

自分の表現したいことを形にしたい、だったり、
誰かを喜ばせたい、だったり。

シンプルになるんだと思うんだ。

そして、縛られなくてもよくなる。

 

たとえば、飲食店。
美味しいものをつくるのが好き。
食べてもらうのが好き。
みんなに食べに来てもらえるように、お店ができて。

もちろん一人でもお店はできるけど、
料理を運んだり、手伝ってくれる人がいると、
たくさんの人に料理を届けられる、と考えるかもしれない。

今みたいな「ホール(ウェイトレス)」って働き方もあるかもね。

 

でもね、その形も変わっているんだと思うんだ。
だって、「時給」も、ないんだし。
もっと、自由になると思うの。

のんびりしてると思うんだ。

 

「勤務時間」という考え方がなくなるから、
お店にいる間じゅう、いわゆる「仕事」をしてなくてもいいんじゃないかって。

 

たとえば、お客さんのいない間、少ない間、
片隅で勉強してたり、
趣味のぬいぐるみでも作ってたり。
「ちょっと洗濯物干してきまーす」って出かけるのも、普通のことかもしれないな。

で、お客さんが来たら「はーい」って出て行くの。

 

まぁ・・・
なんかもうその頃には「お客さん」って意識もない気がするんだ。

「これは、誰の仕事」っていう感覚がなくなってると思うの。
仕事の中でも「所有」の概念がなくなってる。

 

だから、お客さんも「私、今日暇だから、お皿洗うの手伝うよー」とか、
初めてきたお店でも、気軽に手伝ったりするの。

 

常連さんなんかは、ホールの子に、
「○○ちゃん、今日は私が代わりにお店手伝うから、どっか好きなとこ行っておいで」とか。

お店の料理手伝いながら、オーナーにお料理教えてもらいたいって人もでてきて、
そのうち、お店の料理覚えちゃって、
ちょっとくらい代わりにお店に立てるようになっちゃったりして。
オーナーですら「今日はよろしく!」なんてお店から自由になってたりするかもね。

 

でも、それで「みんなが好き勝手にやって、お店が上手くいかなくなる」ってことはないんだよ。

だってそこのお店を手伝う人はみんな、
そのお店が好きでそこにいるから。

 

お店の人のために、自分も一緒に何かしたい。
いつも美味しいものを食べさせてくれてるから、ありがとうって気持ちを表現したい。

みんなでそのお店を、お店を作っている人たちを支えているんだ。
このお店のために、できるだけのことをしたい。
それこそ「責任感」というものかもしれないね。

 

 

だから、みんなが幸せなんだよ。
自分の想いを生きる幸せなのかもしれない。

仕事というより、そのときそのときの自分の表現であるんだ。

 

 

道端では、イーゼルを出して風景を描いている人がいる。
別にその人も、画家というわけじゃないんだけど、
絵が好きで、今日はその場所で描きたくなったから、描いているだけ。

 

そして、通りがかった人が、
「その絵いいね」って言って、持っていく。

たまたま誰も通りかからなかった日は、
そのままそこに置いていくと、
いつの間にかそれは、誰かが家に飾ってる。

 

 

何かをつくろう、って誰かが言い出したときには、
自然と人が集まってくる。

あそこの家に赤ちゃんが生まれるから、
小さなベッドをつくったら、喜ぶんじゃないかなぁ。
一人がそうつぶやくと、

 

「ああ、いいね。じゃあ、設計図ならかけるから、図は僕がやるよ」
「時間がないからつくってはあげられないけど、道具なら貸してあげられるよ」
「久しぶりに、大工仕事もいいわね。私がやろうか?」
「木が必要だなぁ、ちょっと木材屋さんに頼んでみよう」

 

そんな感じで、
得意な人が集まってきて、あっという間に始まる。

 

「木材屋さん」っていうのもね、
たぶん今とは違う感じで。

どちらかというと、
木材置き場みたいな感じになってるんじゃないかと思うの。

必要な人が、そこから持っていく。

大工仕事に詳しい人がなんとなくそこにいたりして、
「それを作るんだったらこの木がいいよ」って教えてくれたりする。
赤ちゃんのベッドをつくるのも一緒に手伝ってくれたりもする。

 

じゃあ、木材屋さんに木材を持ってくる人はどうなのかって?
多分ね、木材を必要としている人がいるって知ってるから、
「必要な人のところに届けばいいなぁ」と思って、木材を切ってきて運ぶんだよ。
森や木が好きだから、どこからどれくらいまでなら採ってきていいかも、ちゃんと知ってるの。

 

洋服屋さんとか、
家具屋さんも同じかもしれないね。

 

洋服置き場、みたいなところがあって、

生地を作るのが好きな人が、生地をつくって置いていく。
そこの生地から、服をつくるのが好きな人が服をつくる。
つくった服を、そこに置いていく。
そして、その服を気に入った人が、持って行って着る。

 

服を好きな人たちが集まるから、
服好き、生地好きのおしゃべりの場になってたりしてね。
そうして、今度こういう服つくってみたいから、
こんな生地つくってくれない?みたいな会話が生まれたり。

そのとき、縁のあった人と繋がる感じ。

 

そこに詳しい人、得意な人は「生地つくりなら、○○さん」みたいに頼りにされるだろうけど、
だからって、そればっかりやってるワケじゃなくて、
「その生地の柄ステキだわ!このジャムの瓶のラベルにしたい!」って言われて
かわいいジャムの瓶のシールを作ってみたり。
時にはハーブティーをブレンドしてたり、
知り合いのお店の掃除を手伝ってたり。

 

 

一人ひとりが、色々なことをやっていると思うの。
それぞれが「今、これがしたいな」と思うことをただシンプルにやるだけなの。

自分の好きなことのどれかひとつだけじゃなくて、全てが活かせる世界。

 

だって、意外な人が、意外なこと得意だったりするでしょ?

それが全部活かせたら、
もっともっと世界は豊かになるんだよ。

苦手なことはしなくてよくなるしね。

 

下手な人もいるだろうけど、
それが好きな人が作るものは、下手でも丁寧に作ってあるだろうし。
不恰好さが好き、ってのも、あるでしょ??(笑)

 

服をつくるのが得意、と言っても、
「縫うのが得意」とか「デザインが得意」とか微妙に違ってたり、
「布を切って合わせて、それが形になっていくのを見るのが好き」って人もいたりして。

「好きなポイントが人それぞれ違う」から、
人の数だけバリエーションがあるの。

だから、案外バランス取れちゃうんじゃないかと思うんだよね。

 

自分のできないことは、誰かがやってくれる。
ただ、自分にとって自然なことを、感じたままにやるだけ。
それで、パズルのピースがはまるみたいに、全てが上手く流れていく。
世界って本当はそうやってできている気がするの。

だから、いろんな個性を持った人がいるんだよ。

 

「あぁ、この世界ってなんて完璧なんだ!」
「ありのままが素晴らしいってこういうことなんだ!」

 

その完璧さ、素晴らしさがむしろ宇宙の「当たり前」なんだと思うんだ。

 

ほら・・・地球が、生命が、宇宙の奇跡のような「偶然」の積み重ねで成り立っているように。

 

欠けているものなんて何もないのかもしれない。
何かが欠けているように見えるのは、
私たちが自分の一部しか表現できない社会をつくっているからだとしたら?

 

 

ひとつの魂が、この世界で表現しようとしていることのなんと壮大なことか!
私たちは多面的な存在で、到底、ある一面だけで表現できるものではないんだよ。

そして、どれも欠けることなく自分なんだ。

 

 

あなたは、私は、
どんな自分を表現しようと、地球に来たのだろう??

もっともっと、地球は自由な表現をできる場になるんだよ!

 

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