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佐々木明里FB

短い物語1~言葉と神

言葉って、物と物を「区別」するためにあるんですよね。


だから、「神」と言葉にした途端、
まるで「神」と「神でないもの」があるみたいに思えてしまう。


「神」、という言葉が、
「私」と「神」を分離させた、切り離したものなのかもしれません。


「神」という言葉は、
「神」は「私」ではないもの、と錯覚させてしまう。
「私」と離れて「神」が存在するのだと錯覚させてしまう。


でも、どこからが「神」でどこからが「神」じゃないんでしょう?

どこからが「私」でどこからが「神」なんでしょう?



もともと「分けられないもの」だと思うんです。


「神」は「目に見えるものすべて」であって
「目に見えないものすべて」である。
「神はすべてであって/無である」ということは、そういうことだと思います。



もともと、「分けられる」ものではないのです。
もともと、「神」と「私」は分けられるものではないのです。


「私」というものだって、「どこからが私?」「どこからが私でないの?」<br />

と言い出したらきりがないんです。
(「心臓」は「私」?とか)

だから「私って何?」という問いが生まれるんだと思うのですが、

「私」という言葉があるから、「私」と「私でないもの」を区別できると思ってしまうのだけれど、
「私でないもの」が「ある」かのように思ってしまいがちだけれど、

実際、そこのところって曖昧です。
「ない」のかもしれません。



「私はすべて」「私は宇宙である」というのも、
「私と私でないものは分けることができないものである」ということを言おうとすると、
そうなるんですよね。どうしても。


「私はあなた」「あなたは私」というのも、
「私とあなたは分けることのできないものである」ということです。


「私は神である」というのも、同じ。
「私と神は分けることのできないものである」ということです。


「神」と「神でないもの」があるわけではないのです。

分けられるものでは、ないということ。


「すべては、ひとつ」というのも、こういうことなのかもしれません。
分けられるものでは、ないということ。



でも、言葉によって分けてしまうんですよね。

「神」という言葉がないと、「神」は語れない。
「言葉」がないと、「神」は語れない。
でも、「神」という「言葉」によって、混乱する。



「神」と「私」を分けたものは、「言葉」だとしたら。
「言葉」によって、「神」と「私」が分離してしまったのだとしたら。


もうひとつ、短い物語を送ります。


・・・・・・・・・・・


私と彼は、森の中を歩いていた。


森はいつもと変わらない。
いつものように、この森の中を彼と私は歩いている。

歩きながら、ふと問いが浮かんだ。

「神って何?」私は彼に聞く。


「じゃあ、あそこに立つ木を見てごらん」
そう言って、彼は目の前の方に立つ木を指差す。

ただの、木だ。

「あれは『木』でしょ?神じゃない。
私は神とはどんなものかが知りたいの」


私がそう言っても、

彼は私の言葉が聞こえないかのように、
その木を見つめて微笑んでいる。

「ああ、ほら、鳥だよ。今、あっちの木へ飛び立っていった」

そうして、彼は少し離れたところにある木へと視線を走らせる。


「ねぇ、神ってどんなものなの?」私はもう一度彼に尋ねる。


彼は立ち止まる。
私もそれにならって足を止める。

「ほら、そこにいる、あなた」


そう言って、彼は微笑みを浮かべながら、私を見つめている。



それでも私がよくわからないという顔をしていると、
しばらくして、彼は口を開いた。


「あなたは、神とはあなたから離れて存在するものだと思ってないかい?

神はどこかに『存在するもの』と思っている限り、

幻ばかりを追うことになるよ。
神と神じゃないものを切り離そうとするから神が見えなくなるんだ」


それだけ言うと、

彼は「今日は暖かいね」と言って、
森の先へと歩いて行った。


※前半部分は2014年に加筆・編集したものです。

 

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