不幸になるわがままと、幸せになるわがまま

自分を生きると、わがままでいることの違いって?
自分を生きたら、わがままな人間になってしまわない?

これ、わりと「自分を生きる」のテーマになると
ありがちな疑問な気がしています。

自分を生きる、自分を大切にすることって、
わがままにならない?
自分勝手じゃない?
人に嫌われない?
人を傷つけない?
優しい人ほど、そこに躓くのかなって。

 

私なりに、この
「自分を生きる」と「わがまま」の疑問に
答えてみようと思います。

 

わがままは
どんなものでも全部OK!もしくは全部ダメ!
ってわけではなくて、

こういうのはいいけど、
こういうのは避けた方が無難。ってのがある。

幸せになるわがまま と
不幸になるわがまま と言ってみましょう。

 

不幸になるわがまま は
「人をコントロールしようとするわがまま」です。

私はこうしたいの!こうじゃなきゃ嫌!
私に合わせて!

と、
自分の思い通りにしようとすれば、
それは周りに不調和を起こしてしまいます。

ここで問題なのは
コントロール欲がくっついてること、
押し通そうとする頑固さ、
自分が正しい!と他を否定していること。

結果、それは人を不幸にし、自分をも不幸にします。
人から大切にされなくなっていくし
わがままに困った相手は「こうしろ」や「こうしなきゃダメだろう」を
もっとあなたに押し付けてきます。
周りはあなたを野放しにしているわけにはいかなくなるので、
あったはずの自由までどんどん制限されていったりします。

んで、なによりぎすぎすします。
重たく苦しい世界を自分で作っていってしまうことになる。
やばいよ。おっそろしいよ。

不幸になるわがままは、
自分を生きづらくするわがまま。
避けた方が無難です。

そもそも、自分を生きる、をやりたいのは
「自分が幸せになりたいから」だと思います。
本末転倒っ!ってことになるわけです。

 

じゃ、自分を幸せにする「わがまま」は?

 

「自分」へのわがまま。

自分にとことんわがままになること。
私はこれがしたいと感じている。
私はこんな未来を体験したい。
私はこう感じている。

そういう「私」に対するわがままは、
自分の人生を豊かにするために
自分にまっすぐな人生にするために
とても大切。

「自分を生きる」にも
もちろんつながっていく。

だって自分にとことんわがままになることは、
自分で自分を幸せにするという覚悟だから。

これはやっていくほど、
楽になるし、幸せになりやすくなっていく。

 

 

だから、まずここ間違えない。
「自分」へのわがまま を
大事にする。

 

あっ、でもこのままじゃ、
自分の中ではわがままでいられる、
自分を大切にしていられるけど、

人と関わったら、
合わせる自分、気遣う自分から出られなくない?
人の中で自分のやりたいことを大事にするって難しくない?

 

確かに、その「わがまま」は、
外に出す時、無理やり押し通そうとすると、
相手や状況をコントロールしようとすると
人を不幸にするわがままになってしまう。

じゃあどうするか?っていうと

 

ただの

「私はこう」

ってやつ。

 

私はこれがしたいよ。
私はこう感じているよ。
こう思っているよ。
こうしたいよ。

「私はこうだよ」という
ただそこにある「私はこう」。

その「私はこう」から、
私の感じていることをシェアしたり
「あなたは?」と相手の話も聞いてみたり
一緒にすり合わせたり
お互いが幸せにになる方法を探したり。

自分のままでいて、
人も大切にすると

自分の中でも調和していきながら
「みんな幸せだね」っていう
周りとの調和も作っていける。

周りも幸せであることは、
結果、自分をさらに幸せにしてくれる。

 

だから「自分を生きる」をやりたいなら
それで「ちゃんと幸せになる」をやりたいなら

自分を大切にする、というベースがあった上で
自分も人も幸せに、なんですよね。

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