意味のある人生という重荷

「意味のある人生にしなければ」

っていう感覚が生まれたのって、ここ100年くらいのことなんじゃないだろうか。

時代が違えば、生まれて、結婚して子ども作ったりしながら、畑仕事や家業なんかをして、それが普通に「ただ生きること」で、
それで人生が終わったりしていた。

「あまり変わり映えのしない」
「普通の」
「毎日を同じように生きているだけの」
ものだったのかもしれないけど、

それが「生きること」で、
その中で幸せや喜びを感じたりしていて。

でも、今の時代になって、

それだけじゃ満足しないんだ、しちゃいけないんだ。

人と違う才能を発揮して、自分だけにしかできないことをして とか
人や社会に貢献して とか

そういう「特別な」「素晴らしい」ことをしないと、
意味のある人生とは言えない、みたいに
なんとなく信じちゃってる。

でもそれ、自分の人生に、求めるもの…というか、
「課せられるもの」が多くなりすぎてるだけなんじゃないかな。

本当はそんなにそれ、
頑張らなくてもいいものじゃないかな。

なんなら、それ、ただの人生にのしかかる重荷になってない?

普通の人として、
普通の人生を生きるだけの人生だとして

そこに「自分は何もできてない」なんて
考える必要、ないんじゃないかな

日常を日常として楽しむこと、その中での周りの人との関係の中での喜びを味わうこと。
それだって、魂の体験したかった目的のひとつかもしれない。

魂の目的が子どもを育てる体験だったり、依存から自立することへの挑戦だったり、みたいな、「目に見える功績じゃない」ことだってたくさんある。

「意味のある人生にしなければ」という余計な重荷によって、さまよったり、苦しんだりするならば

それこそ魂にとって、余計で、求めてないものだと思うんだよ。

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